ゴールデンカムイで活躍する鯉登音之進(以下鯉登少尉)は初登場で「薩摩隼人」と紹介されていました。
薩摩は鹿児島県の旧国名の薩摩藩だとして、隼人ってなに?と思った方もいるのではないでしょうか。古代史マニアが解説します。
目次
薩摩隼人とは?
薩摩隼人とは薩摩地方(鹿児島県)で武勇をとどろかせた勇猛な隼人一族にならって薩摩国の武士を指す言葉として使われます。
隼人とは?
隼人の由来は古く、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の神話にまで遡ります。
『古事記』ではニニギノミコトとコノハナサクヤヒメとの間にも生まれた息子のうち、海幸彦(うみさちひこ)の子孫が隼人になったと記されているのです。(ちなみに、系譜では山幸彦の孫は初代天皇である神武天皇となっています)
隼人の祖、海幸彦
『古事記』には海幸彦にまつわる次のような神話があります。ニニギノミコトの子海幸彦は釣りが、山幸彦は狩りが得意でした。
ある日、山幸彦が海幸彦から釣り針を借りて釣りをしていると、誤って釣り針を無くしてしまい、海幸彦は激怒。争いになってしまいます。
山幸彦は海の神である大綿津見(オオワダツミ)の協力を受けて海幸彦を倒します。
争いに敗れた海幸彦は山幸彦に仕えることとなり、海幸彦の子孫もまた隼人として山幸彦に仕えることを約束したのでした。
『古事記』の系譜では山幸彦の血筋は神武天皇へと続いていきます。
その後の歴史にも隼人は天皇に仕える者として度々登場します。
16代仁徳天皇の死後、仁徳天皇の長男履中天皇な即位して天皇となります。これに納得しなかった仁徳天皇の次男、墨江が謀反を起こし、難波の高津宮に火を放ちます。
仁徳天皇の三男で豪傑の反正天皇は墨江の部下の隼人を使って墨江を暗殺させ履中天皇の危機を救った話があります。
天皇の権威が高まっていた明治時代では、薩摩人にとって、祖先である隼人が神話の時代から天皇に支えてきた事は大変な名誉だったことでしょう。
幕末に天皇の権威に接近した島津氏は隼人の末裔としてのアイデンティティがあったのかもしれないですね!