天橋立ビューランドにてアーチェリー、射的を満喫した後、(2時間くらいいた?😂)
丹後国一宮元伊勢籠神社へ向かいました!
宮津市の丹後一宮 籠神社へ行ってきた!
ビューランドから天橋立を挟んで
対岸にあるので車で20分ほどかかります🚗
管理されていてめっちゃ綺麗✨
手水舎が自動だったのがびっくりでした😳
神社の中は撮影禁止でした。
御祭神:彦火明命(ヒコホアカリノミコト)
相殿:豊受大神(トヨウケオオカミ)
海神(ウミガミ)
天水分神(アメノミクマリノカミ)
元々は豊受大神を祀る神社だそうですが、天照大神→彦火明命を祀るようになったようです。その経緯については、古事記、日本書紀にも記載があります👀
元伊勢の由来は?
10代目崇神天皇の時代に感染症が流行った事から、神に祈りをささげたところ、皇居に祀る天照大神 (アマテラス)をもっと良い場所でお祀りするようにと、お告げがあったのだそうです。
崇神天皇の妹、豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)はアマテラスを祀るのに相応しい場所を探す旅に出ます。旅する中で倭姫が訪れた場所のひとつが、元伊勢として語り継がれています。 なので、元伊勢は日本に数カ所にあります!
時は流れて21代目雄略天皇の時代(5世紀末)になったころ、雄略天皇の夢にアマテラスが現れて「籠神社に祀られているトヨウケノオオカミを伊勢神宮へ祀って欲しい」とのお告げがありました。
籠神社のトヨウケノオオカミは伊勢神宮へお移りに。伊勢神宮外宮には今でもトヨウケノオオカミが祀られています。そして、代わりに籠神社にはヒコホアカリノミコトが祀られたという事です。
天火明命の系図(海部氏系図)と天孫降臨神話
さて、ヒコホアカリノミコトは古事記、日本書紀には登場しない謎の神様ですが、実はかなり、重要な神様なので見ていきたいと思います!
ここ、籠神社には、ものすごいお宝があります。
その名も海部氏系図(あまべしけいず)!
ここ丹後半島に降臨した神様とその子孫の名前が記載された家系図なのですが、
それが現在でも籠神社の宮司を務めている一家まで続いているという、他に類を見ないほど、むか〜しから続く家系図なのです👀
海部氏系図によると、海部氏の祖先は彦火明命
(ヒコホアカリノミコト)で、現在の籠神社の祭神として祀られる神様です。
古事記、日本書紀でヒコホアカリは天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫で天界から九州に降り立った最初の神、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の兄弟とも、子とも言われる神様です。
アマテラスの命を受けたニニギノミコトが地上を治めるべく日本列島に降り立った天孫降臨神話は古事記、日本書紀で有名です。その時アマテラスから託された宝物が、かの有名な三種の神器。
ニニギノミコトの孫が初代天皇神武天皇で、その血筋は現在の天皇陛下まで繋がっているのでは?と言われているわけです。
しかし、ここ丹後国にも天から舞い降りた別の神様がいるとの言い伝えが残っている。
それがヒコホアカリノミコト!
ヒコホアカリノミコトが賜った三種の神器的なお宝は鏡で、神社に大切に保管されているのだそうです。
息津鏡は後漢〜三国時代、辺津鏡は前漢時代のものと考えられる事から、海部氏と大陸から来た渡来人との関係性がうかがえます。
二つの鏡は『呪術廻戦』で伏黒君の式神の由来にもなっています。
天孫降臨神話は渡来人の神話?
丹後地域の古墳からは渡来人が伝えた稲作や製鉄技術にまつわる証拠が出土しています。
つまり、大陸を出発した渡来人の船団のうち、九州へ向かったのがニニギノミコト、丹後に向かったのがヒコホアカリだったと考えられるのではないでしょうか。
大陸から移動できる航海技術的に長けていた海部氏ですが、初代神武天皇の東征(ヤマト入り)を手助けしたとの言い伝えも残されていました。
海部氏4代目の祖が、亀に乗って明石海峡に現れ、神武天皇を先導して河内、大和まで進み、神武天皇から倭宿禰の称号を賜ったとあります。
亀に乗って神武天皇を道案内した神様として
兵庫県の保久良神社 に祀られる椎根津彦命がいますが同一人物とも言われているようです。
もう一つの天孫降臨神話がある丹後国。初代天皇の時代から既にヤマト政権と関係が深かった。この先の歴史に大きな影響を与える存在になっていくことになるのです。。。
つづく