古代史好きな28歳サラリーマンのブログ

古代史(特に縄文、弥生、古墳時代)が大好きです。

北海道旅: 北海道開拓と幌内炭鉱

 

2022年7月に三笠市立博物館へ行った時の記録です。

化石と炭鉱の町 三笠市

三笠市は恐竜とアンモナイトで有名です。上は三笠市のマンホールですが、恐竜がアンモナイトを踏みつけるデザインとなっています。

三笠市は札幌市と旭川市の間に位置する、人口7700人(2023年)の町です。明治時代には三笠から産出された石炭が北海道開拓の礎となっており、人口のピーク時は6万人が暮らしていました。

三笠市立博物館の展示を参考に三笠市の歴史を見ていきましょう。

三笠市立博物館で学ぶ幌内炭鉱の歴史

石炭とは太古(数千万年~数億年前)の植物が完全に腐敗分解する前に地中に埋もれ、そこで地熱や地圧を長期間受けて変質(石炭化)したことにより生成した物質の総称である。(Wikipediaより)

江戸時代、桂沢付近には、良質なエゾマツやトドマツが多く生えることで知られており、江戸時代から木材が切り出されていた事がわかっています。1868年(慶応3年)の時点で幌内には石炭産出されることが発見されていたようですが、「よく燃える石」として民間で利用されていただけでした。

 

明治時代、産業革命を達成したい明治政府にとって国内産の石炭産出量を増やす事が課題でした。明治政府は1872(明治5)年に「鉱山心得」、1873(明治6)年に「日本坑法」を制定し、石炭を採掘する資格を日本人に限定し、外国人による共同出資も認めない本国人主義を採用しました。

 

開拓使に関する記事はこちら↓

rekitabi.hatenablog.com

 

黒田清隆の依頼で来日した地質学者ライマンの調査によって北海道は地下鉱物の埋蔵量が豊富である事が明らかになりました。

特に幌内炭鉱の石炭は良質であったことから、1879年(明治12年)に幌内炭鉱が開かれます。

 

関口信一郎 北海道みなとまちの歴史 より

 

1879(明治12)年小樽-札幌間を結ぶ鉄道が作られました。北海道で最初の蒸気機関を用いた鉄道です。鉄道の目的は幌内炭鉱の石炭を大消費地である札幌、小樽に運ぶ事でした。1882年(明治15)年11月13日に札幌ー幌内間を繋ぐ鉄道が開通しました。

 

幌内炭鉱と集治監

 

良質な石炭を産出する幌内炭鉱と大消費地である札幌、小樽まで石炭を運び出す手段が確立した一方で、幌内炭鉱では労働力不足に悩まされていました。当時の全道人口は20万人にすぎなかったと言われています。幌内炭鉱では1875(明治8)年の樺太・千島交換条約が締結された事で移住を余儀なくされた樺太アイヌが多く働いていましたが、慣れない炭鉱作業から生産性が上がりませんでした。

 

労働力を確保するために、1879(明治12)年北海道開拓に囚人を利用する法案が太政官において採択されました。1881(明治14)年には北海道初の集治監(しゅうじかん)である「樺戸集治監」が設置されました。

 

集治監に関する記事はこちら↓

rekitabi.hatenablog.com

 

1882(明治15)年幌内炭鉱から近い市来知(いちきしり)村に空知集治監が設立されました。なお、三笠の名前の由来は収監された囚人が関係してしていると言われています。市来知(いちきしり)の監獄背後にある丘陵の景観が、奈良の三笠山に似ていることから、故郷を思い三笠と呼び始めたそうです。

 

 

こうして1883(明治16)年から空知集治監の囚人達による石炭の採掘が始まりました。過酷な労働環境から事故や疾病も多かったと言われています。

 

1899(明治22)年には官営による業績不振を理由に元北海道庁部長の旧薩摩藩士堀基(ほりもとい)が北海道炭礦鉄道(のちの北海道炭礦汽船:北炭)を設立しました。 幌内炭鉱、幌内鉄道、開発中の幾春別炭鉱の払い下げを受けました。

野田サトル ゴールデンカムイ より

北海道炭礦鉄道は夕張炭鉱、空知炭鉱の開発、歌志内、室蘭への鉄道の延伸事業を進めていきます。

 

幌内炭鉱の終焉

 

北海道炭礦汽船株式会社に継承された後、三笠での石炭採掘は第二次世界大戦後まで継続されていきます。戦後は経済復興需要のため石炭産業は盛り上がりを見せますが、高炭価が日本の経済成長を妨げるとの批判から政府はエネルギー源を石炭から石油にシフトしていく政策に舵を取ります。奔別(住友系)、幌内(北炭系)炭鉱の採掘現場は地下深くになっており、採掘コストが高額になっていたのです。

 

石炭需要の減少、安価な海外産石炭との競争による経営不振から1989(平成元年)閉山となりました。

 

18世紀に始まった産業革命により蒸気機関の燃料や製鉄のために石炭が大量消費されるようになりました。

 

20世紀には石炭に比べて輸送、貯蔵が容易であり、発熱量が大きい石油がエネルギー源の中心となっていきます。