デュッセルドルフ(独: Düsseldorf)は、ドイツ連邦共和国の都市でノルトライン=ヴェストファーレン州の州都です。
人口は約63万人(2022年時点)でドイツの都市の中では7番目に人口が多く、日本で言うと千葉県船橋市と同じくらいです。
ライン川の水運を利用して発展したルール工業地域があるため、ドイツは東部よりも西部の都市で人口が多いのが特徴で、デュッセルドルフもその一つです。
デュッセルドルフはドイツで一番多くの日本人が集まる町
デュッセルドルフはヨーロッパ最大の”日本人街”(約6500人)として有名なんです。 経済都市であるこの都市には、多くの日本企業も進出しています。
そのため、現地に駐在する日本人が多くなり、日本企業が立ち並ぶインマーマン通り(Immermannstr. )を中心に、日本人街が形成されました。
インマーマン通りは日本語の看板を掲げた店や日本風寺もあったりするようです。
デュッセルドルフのサッカークラブチーム「フォルトゥナ・デュッセルドルフ」には、 宇佐美貴史、原口元気、金城ジャスティン俊樹など多くの日本人選手が在籍していますね。
デュッセルドルフとケルンは不仲?
ケルン人とデュッセルドルフ人は近所なのに仲が悪いのは知る人ぞ知るところですが、ライン川左岸のケルンの人たちはライン川右岸のデュッセルドルフの人のことを「あいつらはローマ文化とつながりがなかった田舎者」などと今でも言います。もう2000年も昔のことなのに。
紀元前から紀元4世紀にかけて、ヨーロッパの覇者ローマ帝国は、当時ガリアと呼ばれ主にケルト人が住んでいた現在のフランス・ベルギーあたりから、現在のブルターニュからイギリスにあたるブリタニアまでその版図を拡げていきます。
これに対抗したのが、ライン・ドナウの奥に潜んでいたゲルマニアです。カエサルの跡を継いだアウグストゥス帝の時代に、ローマ軍はその前線をライン河からもっと東のエルベ川にまで拡大しようとしましたが、ローマの圧倒的な軍事力を持ってしてもライン川・ドナウ川を超えは事はできませんでした。
その後中世になってもドナウ川を挟むケルンとデュッセンドルフは度々戦っています。
このような歴史が、ライン川西のローマ文化に誇りも持つケルン人とゲルマン文化の末裔であるデュッセルドルフ人は仲が悪いと言われる所以です。